「後知恵」(hind-sight)による拒絶に対処しやすい明細書作成について

審査基準における「後知恵」

1993年に日本の審査基準に導入されて以来、2000年の改訂前までの審査基準には「その他の留意事項」として「後知恵」の防止規定が存在しました。2000年の改訂で削除されたその規定は以下の通りです:

「本願の明細書から得た知識を前提として事後的に分析すると、当業者が容易に想到できたように見える傾向があるので注意を要する。例えば、原因の解明に基づく発明であって、いったん原因が解明されれば解決が容易な発明の進歩性を分析するときは、原因の解明も含めて技術水準に基づいて検討する。解決手段を考えることが当業者にとって容易であるという理由だけでは進歩性を否定することができない。」)

「後知恵」の防止に関する規定は、2015年の改訂で、以下の記載として再度導入されました。

「3.3  進歩性の判断における留意事項

(1) 請求項に係る発明の知識を得た上で、進歩性の判断をするために、以下の(i)又は(ii)のような後知恵に陥ることがないように、審査官は留意しなければならない。
  (i) 当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたように見えてしまうこと。
  (ii) 引用発明の認定の際に、請求項に係る発明に引きずられてしまうこと
    (「第3節新規性・進歩性の審査の進め方」の3.3参照)。」
審査基準 第III部 第2章 第2節 進歩性、3.3を参照)

「3.3  留意事項

 審査官は、請求項に係る発明の知識を得た上で先行技術を示す証拠の内容を理解すると、本願の明細書、特許請求の範囲又は図面の文脈に沿ってその内容を曲解するという、後知恵に陥ることがある点に留意しなければならない。引用発明は、引用発明が示されている証拠に依拠して(刊行物であれば、その刊行物の文脈に沿って)理解されなければならない。」
審査基準 第III部 第2章 第3節 新規性・進歩性の審査の進め方、3.3を参照)

一方、米国の審査基準(MPEP)(MANUAL OF PATENT EXAMINING PROCEDURE)では、「2142: Legal Concept of Prima Facie Obviousness [R-7.2015]」に「The tendency to resort to “hindsight” based upon applicant's disclosure is often difficult to avoid due to the very nature of the examination process.  However, impermissible hindsight must be avoided and the legal conclusion must be reached on the basis of the facts gleaned from the prior art.」(出願人の開示に基づく“後知恵”に陥る傾向は、審査過程の性質自体ゆえに避けることがしばしば困難である。しかし、許容できない後知恵は防止しなければならず、法律的結論は先行技術から収集した事実に基づいて下さなければならない)と記載され、「後知恵」の防止に関する規定が存在します。なお、参考までに、上記引用箇所を含む段落全体を以下に引用します(要旨としては、「後知恵を排除するため、時間をさかのぼり、発明がなされる直前時点の仮想上の当業者の立場に立ち、発明の知識を頭から排除して、自明か否かを詳細に検討しなければならない」という趣旨の詳しい説明がなされています)。

To reach a proper determination under 35 U.S.C. 103, the examiner must step backward in time and into the shoes worn by the hypothetical “person of ordinary skill in the art” when the invention was unknown and just before it was made. In view of all factual information, the examiner must then make a determination whether the claimed invention “as a whole” would have been obvious at that time to that person. Knowledge of applicant’s disclosure must be put aside in reaching this determination, yet kept in mind in order to determine the “differences,” conduct the search and evaluate the “subject matter as a whole” of the invention. The tendency to resort to “hindsight” based upon applicant's disclosure is often difficult to avoid due to the very nature of the examination process. However, impermissible hindsight must be avoided and the legal conclusion must be reached on the basis of the facts gleaned from the prior art.
(MPEP § 2142: Legal Concept of Prima Facie Obviousness [R-7.2015]の第2段落を参照)

なお、米国の審査基準では、「後知恵」を防止する観点から、prima facie obviousness(一応の自明性)が成立する要件には以下の2項目が含まれています:
(1)TSMテスト(teaching, suggestion, or motivation test)(「2143.01: Suggestion or Motivation To Modify the References [R-08.2017]」などを参照)と
(2)reasonable expectation of success(成功の合理的な見込み)(「2143.02: Reasonable Expectation of Success Is Required [R-08.2012]」などを参照)。

また、EPOの審査基準(Guidelines for Examination in the EPO)では、「G_VII_8: "ex post facto" analysis」と「G_VII_5_5.3: Could-would approach」に「事後分析("ex post facto" analysis)」(後知恵)の防止に関する規定が存在します。

「後知恵」に関する考察

上記のような一種の「戒め」の存在からも分かる通り、国を問わず、特許庁の審査官にとって最大のタブーの一つが、いわゆる「後知恵」(hindsight)に基づく拒絶を出してしまうことです。

「後知恵」は、進歩性(非自明性)の判断において問題になることが多く、「後知恵」による進歩性欠如の拒絶の説明で、しばしば引き合いに出されるのが有名な「コロンブスの卵」です。要するに、以前には誰にも成されていなかった発明に対して、最初に発明したことの価値を無視して、後から結果が容易に見えることのみに基づいて評価してしまうのが、「後知恵」による拒絶です。

しかし、考えてみれば、審査官が審査に先立って先行技術文献をサーチする際には、当然に本発明の内容を頭に入れてそれを基準にしてサーチするわけですのですので、そこには必然的に「後知恵」のバイアスがかかります。そして、そのようにしてサーチしてきた先行技術文献に対する発明の特許性を評価する段に至っては、その「後知恵」に基づく色眼鏡を外して、サーチを行った審査官自身にとってではなく、発明がなされた当時の「当業者」にとって発明が容易であったということを、充分な根拠をもって「理論付け」することが出来るか否かを検討します。この「論理付け」についてはこちら(進歩性(非自明性)の判断基準)の解説を参照ください。

一般人には、この「色眼鏡」を外すことが難しいのですが、特許庁の審査官は必ず「色眼鏡」を外して発明と先行技術の関係を評価することが要求されます。

そして、その「理論付け」の根拠が一応、一見して充分なものであれば、「後知恵」はないことになり、もしもその「理論付け」の根拠が全く無い若しくは明らかに不充分であれば「後知恵」による拒絶ということになります(ただし、欧米・日本・韓国などの先進国では後者の状況は通常はごく稀にしか生じません)。

しかし、実際は、「理論付け」が充分かどうか自体についての純粋に客観的な判断基準はないわけですので、多くの場合の、ある意味では、拒絶理由にはほとんど必然的に「後知恵」的な要素が存在し得るとも言えます。この点に関連して、米国Albany Law Schoolの教授が、陪審を想定して一般市民400人を対象に、hindsightの影響についての調査を行ったところ、事前に本発明の知識を有していた人が、その発明を自明と判断する確率は、本発明の予備知識がなかった人の場合と比較して約2倍であり、TSMテストやGrahamテストに従って判断させても、結果はそれほど変わらなかったそうです。(TSMテストは、教示(teaching (T)),示唆(suggestion (S)) 又は 動機(motivation (M))があるか否かのテストです。Grahamテストは、Graham事件の米国連邦最高裁判決で示された基準で、以下の4つのGrahamファクターからなるガイドラインです(MPEP § 2141)。(i)先行技術の範囲と内容を決定すること。(ii)先行技術と当該クレームとの差を明確にすること。(iii)当業者の技術水準を確定すること。(iv)二次的考慮事項の証拠を評価すること。
なお、米国における進歩性(非自明性)については、こちらの解説(「知財管理」誌掲載, 2016年12月)もご参照下さい。)

また、発明の技術は出願時からの時間経過ともに陳腐化しますので、一般に、「後知恵」による判断が生じるリスクは出願時から経時的に増加してゆく傾向があると考えられています。つまり、出願時には「とても意外な知見」に基づくとの印象を与える発明であっても、審査の時点、さらには裁判の時点というように、時間の経過にともない、「意外な知見」との印象はどんどん減少していき、したがって、「後知恵」による判断の生じるリスクが高まると考えられています。

このように、ある意味で、拒絶理由にはほとんど必然的に「後知恵」的な要素が存在し得るものであり、更に、「後知恵」による判断が生じるリスクは出願時から経時的に増大してゆく傾向があります。

そして、一旦、拒絶理由を受けてしまえば、如何にその理由が「後知恵」に基づくように見えたとしても、単に「後知恵」のみを主張して拒絶が撤回されることは殆ど無いと言ってよく、結局は、出願人が発明の新規性・進歩性(非自明性)(発明が意外なものであること)を積極的に明確にすることが必要になります。

要するに、如何に「後知恵」に基づくと思われる拒絶であっても、拒絶を受けてから「後知恵だ」と主張しても「後の祭り」であり、予め「後知恵」に基づく拒絶を受けないよう、明細書作成の段階で十分な準備をしておくことが肝心です

「後知恵」については当サイトのこちら(進歩性(非自明性)の拒絶への対応(Part 3))における「「後知恵」(hind-sight)」もご覧下さい。「後知恵」による拒絶への対応方法については、こちらの解説(「知財管理」誌掲載, 2016年12月)もご覧下さい。

なお、「後知恵」による拒絶を覆すために最も重要な要素の1つが、審査官による論理付けを妨げる要因である「阻害要因」(下記)です。当サイトのこちらの解説(進歩性(非自明性)の判断基準)で述べますように、「特許庁の段階では『阻害要因』が存在しないと判断されたものが、知財高裁の段階では『阻害要因』が存在すると判断される」ようなケースが存在しますので、「阻害要因」の存在が確実に認められるような用意周到な徹底した説明を特許庁の段階で行なうことが重要です。また、そもそも、そのような説明がし易いように留意して明細書を作成することが重要です。

「後知恵」に基づく拒絶を未然に防止するための明細書

一般的な考え方

「後知恵」に基づく拒絶を未然に防止するための明細書とは、一言で言ってしまえば、先行技術に対する新規性・進歩性(非自明性)(発明が意外なものであること)が分かりやすく示されている明細書ということになります。

要するに、格別な手段が有るわけではないのですが、特に一見して先行技術との構成上の違いが小さい発明は、「後知恵」による進歩性欠如(自明性)の拒絶を受け易いので、発明の構成の困難性(先行技術同士若しくは先行技術と周知技術を組み合わせることに関する困難性)や予想外の効果などについて強調しておくことが重要です。

実際には、この点の対応が充分でない明細書を目にすることがよくあります。特に発明者の方は、発明が属する特定の技術分野の専門家ですから、自分では構成上の小さな改変にも困難性を伴うことをよく認識しており、それを当然のことと考えてしまい、専門外の第三者にとっては容易に見えるかもしれないという認識が無い場合が少なくありません。この様なことが原因となって、進歩性(非自明性)(発明が意外なものであること)が明確に読み取れない明細書となってしまいます。

したがって、これは、弁理士や特許技術者の仕事の範疇とも言えますが、明細書を書く際に、発明が属する特定分野の専門知識が無い第三者にとって、発明がどのように解釈されるかを客観的にイメージすることが非常に重要です。客観的な視点からの配慮を欠いた明細書での出願は、後知恵に基づく拒絶を受けやすいと言えます。

具体的には、出願明細書において、本発明に最も近い先行技術から本発明に到達することについての困難性や予想外の効果が得られることが直感的に理解できるようなポイントを、発明の課題と解決手段の項目などで、要領よく説明しておけば、「後知恵」による拒絶を未然に防止できることがあります。また、ポイントさえ巧みに述べてあれば、拒絶を受けても、それをベースにして、意見書で大幅に詳しい説明にすることが容易になります。

特に効果の話となると、米国を除く多くの国において、出願時の明細書に教示も示唆もされていないような効果について、出願後の審査の段階で主張しても考慮されませんので、出願時に何らかの記載を含めることが重要です。この点については、当サイトの「進歩性の拒絶への対応(Part 2)」の後半の「実験報告書についての注意点」をご覧下さい。また、当サイトのこちらの解説(審査通知に対する応答における発明の効果に関する主張について)の特に後半をご覧下さい。

具体例と注意事項

たとえば、公知技術として、ある種のポリマーAの重合反応の特徴に着目して設計されたポリマーA製造用の重合反応装置があり、本発明は、その公知の重合反応装置を他のポリマーBの製造に適用した製造方法に関する発明である、という場合を例に取ります。

一般的には、化学分野など結果の予測が難しい分野においては、反応の原料が異なれば、適する反応方式や条件も異なるという一般的常識がありますが、審査官が、上記の重合反応装置をポリマーBの製造に適用することの容易性について何ら具体的な根拠を示さずに、「本発明で成功している」という結果を念頭において、公知の重合反応装置を他のポリマーに適用することなど当たり前などという理由で拒絶をしたならば、この拒絶は「後知恵」に基づく可能性が高いと言えます。

具体的な証拠の提示は無くとも、恐らく審査官は「異なる重合反応であっても、殆どの場合に、同じ反応装置が利用できることは周知」などを指摘してくるでしょう。それに対して、単に審査官の主張は「後知恵」に基づく不当なものだと主張しても、通常、それだけでは審査官の判断が覆ることはなく、結局は、組み合わせの困難性や予想外の効果を明らかにすることが必要になります。

従って、「後知恵」による拒絶を防止し、またそのような拒絶を受けても効率的に拒絶を撤回させるためには、やはり出願明細書において、発明の構成の困難性や効果の意外性などを分かり易く説明しておくということが最も有効です。

上記の例では、一見して、先行技術におけるポリマーAを、単にポリマーBに置換しただけという第一印象を受けます。そこで、進歩性を明らかにする為に特に有効な手段としては、例えば、以下のような点を明細書で強調しておくことが重要です:

(1) 当業者が、ポリマーA製造用の重合反応装置をポリマーBの製造に適用することを阻害する要因(いわゆる「阻害要因」または「阻害事由」)(英語では"teaching away"又は"negative teaching")の存在があったことを明らかにする。(阻害要因については、当サイトの「進歩性(非自明性)の判断基準」をご覧下さい。)

(2) 上記(1)を明らかにした上で、先行技術と同じ又は類似の効果(例えば、選択率や転化率の向上など)を証明する。

(3)先行技術には教示も示唆もされていなかったような効果を証明する。(例えば、先行技術において達成された効果が選択率と転化率の向上のみである時に、本発明ではポリマーBの重合で問題視されていた有毒な副生物の生成抑制が達成されることを証明するなど。)

上記(1)の阻害要因については、例えば、上記のポリマーAの重合に関する先行技術文献において、ポリマーAの重合反応の平衡定数の低さに着目して、上記の特定の重合装置を設計し、一定範囲以上の平衡定数を示す重合反応に、この重合装置を利用すると不都合が起きるという趣旨のことが記載されていたとしましょう。そこで、ポリマーBの重合反応の平衡定数が、上記先行技術に記載されている範囲より高ければ、阻害要因があったと言うことができます。

上記(2)については、ポリマーAに関する上記先行技術において、上記の重合装置の使用により、選択率や転化率が向上し、本発明における効果も同様であり、且つ阻害要因も無かったということであれば、本発明の効果が意外なものとは認められない可能性が有ります。勿論、例外も有るでしょうが、阻害要因もなく且つ先行技術と同じ方向性の目的の発明ということであれば、一般的には、進歩性を認めさせるのが難しい場合が多いものです。

一方、上記(3)のように、先行技術には教示も示唆されていなかったような効果であれば、意外な効果と認められる可能性が高くなります。ただ、やはり、上記の例のように、一見して先行技術との構成上の差が小さい時には、阻害要因の存在を明らかにできることが理想的です。

実際に「後知恵」に基づくと思われる拒絶を受けた場合の対応

拒絶理由通への回答において「後知恵」を明示的に主張することは、審査官の判断能力を否定することに等しいため、よほどの証拠(たとえば、審査官の拒絶理由の論理における明示的・致命的な欠陥の存在や、明らかな「阻害要因」の存在など)でもないかぎり、心証の観点から、あまり露骨に「後知恵」を主張しないことが得策です。

多くの場合に望ましいアプローチとしては、「後知恵」には直接言及せずに、阻害要因やいわゆる「二次的考慮事項」などの議論をする中で、審査官自身が「後知恵」的な要素の存在を自然に自覚して改めてくれるように話しをもっていくというやり方が望ましいものです。(なお、後知恵に基づく拒絶理由に対処する際の参考に、弊所の関係者が執筆したこちらの解説(タイトル「米国における非自明性と二次的考慮事項について」,「知財管理」誌掲載, 2016年12月)をご覧ください。)

但し、担当の審査官が変った場合や、審判・訴訟手続きにおいて、審査官の判断や相手の主張に対して行うのであれば、この限りではありません。むしろ、「後知恵」を強力に主張することが得策の場合もあります。また、近年の知財高裁判決の進歩性判断において「後知恵」が積極的に言及されることが増えていますので、裁判での「後知恵」の議論の有効性は増す傾向にあります
(たとえば、平成18年(行ケ)第10422号 審決取消請求事件
(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail7?id=34453)
平成20年(行ケ)第10130号 審決取消請求事件
(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail7?id=37152)
平成20年(行ケ)第10096号 審決取消請求事件
(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail7?id=37235)を参照。)


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